2013年春 甲子園優勝 | 森士監督30年 | 森大監督最年少31歳 | 甲子園26回 | 野本喜一郎 | プロ野球選手多数 | 小島和哉 | 1979年創部
| 正式名称 | 浦和学院中学校 |
|---|---|
| 所在地 | 埼玉県さいたま市緑区代山172番地 |
| 電話番号 | TEL: 048-878-2101 |
| 設立 | 1978年 |
| 校種 | 私立中学校、男女共学、中高一貫校 |
| 特色 | 野球部名門、スポーツ強豪校 |
| 募集状況 | 中学校募集停止発表 |
JR浦和駅からバス
1979年に創部。初代監督は野本喜一郎(元プロ野球選手、埼玉を代表する名将)。
主な沿革:
野本喜一郎は元プロ野球選手で、埼玉を代表する名将として、既に広く知られていました。
森士(2代目監督)が上尾高校時代、野本監督の下で3年間一度もベンチ入りできませんでしたが、野本は生前、「一番練習していたのは森だった」と周囲に明かしていたという。
森士が東洋大2年生だった1984年、浦和学院の監督に転じていた野本から、「大学を卒業したらコーチをやらないか」と誘われました。
野本はチームを1986年夏に甲子園初出場に導きますが、聖地で指揮を執ることなく開会式の当日に病気のため死去。だが、森士は卒業後の1987年、恩師との約束を果たすべく浦和学院のコーチとなり、指導者生活をスタートしました。
森士(もり おさむ、1964年6月23日生まれ)は、埼玉県浦和市(現・さいたま市南区)出身。現役時代は投手(アンダースロー)。
1991年から2021年夏まで30年間監督を務め、甲子園22回出場、通算28勝21敗(春20勝9敗、夏8勝12敗)を記録しました。
2013年、第85回選抜高校野球大会で優勝。準々決勝で北照に10-0、準決勝で敦賀気比に5-1、決勝で済美に17-1で快勝し、春夏通じて初の全国制覇を達成。県勢の優勝は1968年春の大宮工業以来、45年ぶり2度目となりました。
同年4月19日、さいたま市から森にさいたま市長特別賞が、野球部には同賞と埼玉県から彩の国功労賞がそれぞれ贈られました。
2017年3月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。スポーツクラブマネジメントコースで間野義之教授に師事。平日夜間や土曜日を中心に講義を受け、修士(スポーツ科学)を取得しました。
2021年4月1日付で浦和学院高校の副校長に就任。同年夏の埼玉大会決勝で昌平を破り、優勝監督インタビューで本大会をもって退任する意向を発表。甲子園では日本大学山形に敗れ初戦敗退。この試合をもって監督を退任しました。
選手やコーチから「大将」と慕われました。
森大(もり だい、1990年12月28日生まれ)は、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。父は森士(2代目監督)。
浦和学院高校時代には控え投手として、夏の甲子園大会に2007年と2008年の2度出場。2008年は南埼玉大会の全6試合に先発する活躍を見せ、父親でもある監督の森士と「親子鷹」として注目されました。
高校卒業後は早稲田大学に進み全日本大学選手権優勝を経験。三菱自動車倉敷オーシャンズでプレー後、25歳で引退。
引退後は母校に戻り、野球部コーチをしながら筑波大学大学院で1年、早稲田大学大学院で2年スポーツバイオメカニクスや心理学を学びました。
2016年からは浦和学院高校のコーチとして着任。また後に同校の部長も務める。2021年夏の大会をもって父・士が監督を退任したため秋季大会より監督に就任。
2022年センバツに出場を果たし、父・士と同じく就任1年目の甲子園大会出場を達成。また、同大会の出場監督の中では最年少(31歳)でした。
保健体育、倫理(公民)の教員免許状を持っています。大学院で心理学を学んだ経験から心理カウンセラーの肩書も持っています。
森監督は選手時代、背番号2ケタの控え投手として高2、3の夏に甲子園出場。視界にあるのは、前監督時代に2年生エース小島和哉(ロッテ)を擁して達成した、2013年春以来の優勝です。
球児の夢舞台である甲子園には、2024年春現在、春11回、夏15回出場しており、春夏ともに県内最多の出場回数を誇っています。
最高成績は、2013年春の全国優勝。春の優勝に続き、夏の全国制覇目指して日々練習に励んでいます。
第85回選抜高校野球大会で悲願の全国制覇を達成した浦学野球部。これまで数多く甲子園に出場しながらなかなか手が届かなかった優勝旗を、創部から35年、森監督就任から21年かけてつかみ取りました。
埼玉県勢の甲子園優勝は1968年春の大宮工以来、45年ぶり2度目の快挙となりました。努力すれば夢は叶うということを結果で示してくれた選手たち。次の目標は県勢がまだ成し遂げていない夏の日本一です。
戦績:
卒業後も野球を続ける選手が多く、出身高校別のプロ野球選手輩出数は全国トップクラス。社会人、大学野球でもたくさんの卒業生が活躍しています。
主なプロ野球選手:
落合敏郎が作曲した浦和学院オリジナルのサンバ調の応援曲があります。
野球部監督になったばかりだった森士から「応援を変えてほしい」との要望をうけ、吹奏楽部顧問だった落合が手掛けました。
高校野球での演奏が有名ですが、ハンドボールやサッカーなど、スポーツの応援全般で使用されています。
正確な作曲時期は不明ながら、応援指導係長の篠原教諭は「1980年代後半には既に存在していた」と語っています(作曲者の落合は1991年と語っている)。
この曲は指揮者によるホイッスル演奏があるのが本来の姿であるものの、野球応援の演奏ではファウルボールの警告音と紛らわしいので使わないことが多いです。
2015年、第38回全国高校ハンドボール選抜大会で24年ぶり2度目の優勝。
2022年12月12日より、浦和レッズと業務提携しました。
2021年12月に人工芝サッカー場が完成。国際規格であるフルピッチ(105×68m)のロングパイル人工芝で、夜間照明、防球ネットを完備。また、微細ミストを発生させてフィールドの暑熱環境を緩和する「フィールド冷却細霧システム」を採用しています。
2014年4月より元Jリーガーの森山泰行を監督に招聘し、県で上位進出やS1リグ昇格を果たすなど急成長。2019年2月1日から2024年2月末まで元浦和レッズレディース監督の村松浩が監督を務めました(現在はアドバイザー)。
2024年の選手権県予選では、強豪を次々に倒し37年ぶりに決勝進出を果たしました。
全国高校選抜大会:
全国大会出場4回
全日本マーチングコンテスト出場10回とマーチングの全国大会出場経験があります。サッカー部や野球部の応援演奏など幅広い分野で活躍しています。
2022年度に創部。2025年度から強化指定部に移行。
第1校舎/第2校舎/第3校舎/第4校舎があります。全教室にLED照明が、一部の校舎にWi-Fiが設置されています。
2025年5月、一足制導入により撤去した第1・第3校舎の下駄箱跡地に休憩スペースなどに使えるラウンジを設置しました。
2021年12月に人工芝サッカー場が完成。国際規格であるフルピッチ(105×68m)のロングパイル人工芝で、夜間照明、防球ネットを完備。また、微細ミストを発生させてフィールドの暑熱環境を緩和する「フィールド冷却細霧システム」を採用しています。
2016年、国際・強化部活寮「ネクス(NEXU)」完成。
2018年、特進類型の4コース(リーダーズ、サイエンス、プログレス、アブソルート)を3コース(T特、S特、特進)に再編
2013年、進学類型・リテラル(情報)コースを廃止し、同・総合進学コースの2年次選択クラスを「総合系」「情報系」に改編。
浦和学院中学校は募集停止を発表しています。詳細は学校公式サイトをご確認ください。
2025年4月に中学野球部創部。2013年の第85回選抜高校野球大会で優勝した際の4番打者である高田涼太が監督に就任し、副校長で硬式野球部前監督の森士が部長を務めます。
浦和学院中学校は、埼玉県さいたま市緑区にある私立中高一貫校です。
最大の特長は、野球部の圧倒的な実績です。
1979年創部、2013年春の第85回選抜高校野球大会で埼玉県勢45年ぶりの優勝達成(決勝で済美に17-1で快勝)。甲子園出場26回(春11回・夏15回)で春夏ともに県内最多。
1991年から2021年夏まで森士監督が30年間指揮、通算28勝21敗。2021年秋から息子の森大監督(就任時31歳、センバツ最年少監督)。
初代監督は野本喜一郎(元プロ野球選手、1986年甲子園初出場直前に死去)。
プロ野球選手を多数輩出(小島和哉・蛭間拓哉・金田優太・渡邉勇太朗・坂本一将など)。
浦和学院オリジナルのサンバ調応援曲(落合敏郎作曲)があります。
2021年12月に国際規格フルピッチ人工芝サッカー場完成。2022年浦和レッズと業務提携。
中学校は募集停止発表。2025年4月に中学野球部創部(高田涼太監督、森士部長)。
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